今回の記事はオ-ディオ店の昔話をしたいと思います。この記事の内容はすべて大須で聞きかじった内容を健忘録がわりに記事にします。
この名古屋大須のオ-ディオ店の変遷をまとめたホ-ムペ-ジがありませんし、当時を知っている人の記憶もあいまいになって来てますので、すこしばかり間違いがあるかもしれません。
ご容赦ください。
話は太平洋戦争の数年後の1947年(昭和22年)までさかのぼります。
この年に名古屋無線が創業しました。この名古屋無線が現在の「ベリーズ・ナピックス (Berry's NAPIX)」になります。(Napixホ-ムペ-ジより。戦後の混乱期なので、実際の創業は前後しているかも)現在、大須界隈でオ-ディオを扱っているお店の中で一番の最古参となります。
この後、20年間くらい経った1970年(昭和45年)ごろに多田オ-ディオ(当時は多田電子部品という名前)が創業しました。
この1970年頃は、他にもオ-ディオを取り扱うお店がありました。
◎名古屋無線 ( 現Berry's NAPIX )
◎カト-無線 ( 廃業 大津通り ボ-クスにパーツセンタ-
本店はソフトバンク裏、
そこからパルコ横に統合移転 )
◎中野無線 ( 廃業 現パルコあたり )
◎中京無線 ( 廃業 フォトシティワキタ 横 )
◎コメ兵 ( 中古 質流れ品のみ取扱い )
◎多田オ-ディオ ( 大須 3丁目 )
ちょいと離れて・・・
◎栄電社 (名古屋市中区名駅)
◎ゴトウ総合音響 ( たぶん2015年頃廃業
FBアカウントは存在 名古屋市千種区 )
一時期はこの現在の名古屋パルコ南館あたりにカト-無線と中野無線が存在していた。
現在ではその面影は全く見られない。
自分の聞いた範囲ではこれだけであるが、他にもオ-ディオを取り扱うお店が数多くあったのかもしれない。
この当時は、大須郵便局に場外馬券場があり、その流れで大須商店街も人の流れが多く現在みたいな活気があった町だったと聞く。
その数年後、たぶん1980年頃に場外馬券場が無くなり、大須の活気がだんだん無くなったそうです。それで何とか昔の活気を取り戻そうと、商店街の努力と第一アメ横ビルのオープン、パソコン関連のお店の発展、昔ながらのお店から流行に乗るお店への変遷のへなどで徐々に活気が復活し今に至ります。
途中で大須万松寺ビルに場外馬券場が復活などもしてますが(^^ゞ
ちなみに多田オ-ディオは最初、多田電子部品として創業した時は万松寺通りの今井総本家(天心甘栗)の近くにありました。大須301ビルの立てられる前の商店街のアルミ金物屋だった所だそうです。現在の場所には1972年ごろ(昭和47年頃)に移転しています。
多田オ-ディオの社長は、18歳の時にラジオ店を起業しました。当時のラジオ店は午前中に部品を買い、午後に組み立て代行、修理などをしていたそうです。その傍ら、録音エンジニア、電子設備設計などで多忙な日々を過ごしていたそうです。
そして40歳くらいで多田電子部品(多田オ-ディオの前身)を立ち上げます。
在の大須の有名どころ「第一アメ横ビル」は1977年(昭和52年)オープンだそうです。
このビルの中にも、現在まで入れ替わりがあり、オ-プン当時から残っているオーディオ店は次のお店になります。
◎ ボントン(電子部品・パーツのみ
もともとは東京に店舗があったらしい)
◎小坂井電子(真空管ショップ・ジャンク品取扱い店。
もともと新栄に店舗があったらしい。)
◎ノムラ無線( 新品オ-ディオ関連製品のみ取扱い)
数年後の1980年(昭和55年)ごろに、赤門通りのサウンドプラザが創業、そそのサウンドプラザの店員さんの一人が独立、HIFI堂を1997年(平成9年)に創業しています。
そして赤門通りに一番新しお店、オ-ディオクラブ響が2009年頃にオープンします。
これで2019年現在の大須界隈のオーディオ店の姿となります。
大須全体では、コメ兵が店舗拡大したり、大須商店街の努力で寂れかけた人の流れが大須に戻ってきたり、大須演芸場が潰れかけたり、場外馬券場がコッソリ復活していたり、少しずつ古本屋がなくなったり・・・たぶん書ききれない出来事が沢山あったはずです。
詳しくは調べられませんでしたが・・・・・
大須には古墳(コメ兵カメラ・楽器館裏手)がありますし、神社仏閣も数知れず・・・・実は城址まであります。(^^ゞ
大須界隈は昔から栄枯盛衰が激しい街なんでしょうね。
今回は大雑把に大須のオ-ディオ店の変遷を書いてみましたが、いかがだったでしょうか? 又、色々と昔話を仕入れて??書きたいと思います。
ではまた!!